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【劇評】「記憶されることで存在が保たれる」という人間的なテーマ。 ――人間と妖怪の物語『どろんぱ』が描くもの(相澤 洋美)
「記憶されることで存在が保たれる」という人間的なテーマ。 ――人間と妖怪の物語『どろんぱ』が描くもの
『どろんぱ』は、日本発のミュージカルを作るMOJOプロジェクトの第2弾として制作された、オリジナルミュージカルだ。行方不明になった娘を探して、神隠しの伝承が残る森へやってきた夫婦が、社会から忘れ去られた〝由緒正しい〟伝承の妖怪たちと関わるなかで、真の絆を見つけ出す。
主要キャラクターが妖怪の、愛と絆の物語と聞いて、子ども向けのファミリーミュージカルなのかと思っていたが、まるで違う。もちろん、子どもが観ても十分に楽しい作品だとは思うが、親子の愛、仲間との絆、忘れられる孤独、寂寥からくる恐怖と憎悪……、観る人によって、また観るタイミングによって、違う感情が湧き上がるのではないかと思う。観る前に、「対立している、いい妖怪と悪い妖怪が、最後は仲良くなって大団円、という話だったら嫌だなあ」などと考えていた自分が恥ずかしい。
妖怪といえば、ひと昔前、『妖怪ウォッチ』が社会現象となるほどの旋風を巻き起こしたことがあった。それ以前は「妖怪」は昭和の古い存在に過ぎなかったが、機械系キャラクターや、かっこよすぎるヒーロー・ヒロインにはない、親しみやすさやあたたかみがある妖怪たちは、たちまち人気者になった。
しかし『どろんぱ』に登場する妖怪たちは、少し違う。忘れられることへの恐怖や、存在を証明できない苦しさを、真正面から抱えている。
そもそも、日本には古来、万物八百万に神が宿っているという考えがある。死んだら輪廻転生で生まれ変わるし、妖怪だって目に見えないだけ。「本当はいる」と言われたら信じる人も多いだろう。その曖昧さを受け入れる想像力が、この作品の妖怪たちにリアリティを与えている。
キャストたちの熱のこもったミュージックナンバーでは、妖怪たちの抱えている悲しみ、苦しみが見事に表現されていた。ひとくくりに「妖怪」とはいえ、背負っているものや魂の在りようはみな異なる。人間にとっての正義が、彼らにとっての不都合になることもさりげなく歌にしながら、それぞれが「己の存在意義」を探し求めるさまが痛いほどに伝わった。
実力派のキャスト揃いだったが、なかでも主演を務めた小池徹平の演技には圧倒された。小池が演じたのは、人間の「夫」になりすました煙の妖怪・烟々羅。終盤で、妖怪たちと烟々羅が存在意義をかけて争うシーンは、演じているというより、まるで「SASUKE」のような迫力と疾走感だった。観ているだけで呼吸が苦しくなり「もうやめて」と言いそうになったが、舞台上の小池はどこまでも爽やかでエネルギッシュ。息を切らさずに歌い続けながら、身体を極限まで使い切る体力と精神力はどれほどのものかと、恐ろしささえ感じた。
妖怪たちのナンバー「明け六つは遠し」が示すのは、単なる夜明けではないだろう。忘れられた存在にとって、誰かに思い出されることが夜明けなのだとすれば、その距離はあまりにも遠い。そう思い至った瞬間、このナンバーがなぜ苦しく聞こえるのか、理解できた気がした。
日本の妖怪は、悪霊やモンスターではない。その証拠に、本作ではわかりやすい「悪者」は登場しない。あるのは、お互いの想いのすれ違いだ。
『どろんぱ』が描いているのは、人間と妖怪の物語であり、「記憶されることで存在が保たれる」という、ごく人間的なテーマでもある。日本発のミュージカルとして、世界に発信できる可能性を、強く感じた。
再演、再々演を、そして定期開催になったらいいなと期待している。 (相澤 洋美)


